2012年07月25日

蜷川実花「ヘルタースケルター」

蜷川実花「ヘルタースケルター」、2012年7月14日公開の日本映画。



監督 - 蜷川実花
脚本 - 金子ありさ
原作 - 岡崎京子『ヘルタースケルター』(祥伝社フィールコミックス)

キャスト
りりこ - 沢尻エリカ
麻田誠 - 大森南朋
羽田美知子 - 寺島しのぶ
奥村伸一 - 綾野剛
吉川こずえ - 水原希子
沢鍋錦二 - 新井浩文
保須田久美 - 鈴木杏(友情出演)
塚原慶太 - 寺島進
南部貴男 - 窪塚洋介(友情出演)
多田寛子 - 桃井かおり
和智久子 - 原田美枝子
浜口幹男 - 哀川翔

公式サイト
http://www.hs-movie.com/

サブカル漫画の金字塔、岡崎京子の「ヘルタースケルター」がついに映画化されてしまった。
監督は蜷川実花。
あ~なるほどね、と。
オサレ的ビビッドカラフルポップなガーリーファッションムービーね、と。
蜷川実花ねぇ。
女子受けする絵を撮るのは巧いと思うし、
ゴリゴリと押し寄せる色の洪水は良くも悪くも彼女らしさに満ちている。

しかし「さくらん」のとんでもない薄っぺらさとつまらなさに、
もう監督業はやめた方が良いと誰しもが思ったはずなんだが、
果敢な挑戦を続ける彼女の2作目、それがこの「ヘルタースケルター」だ。


ストーリーは至極単純。
カリスマ的人気を誇るモデル兼タレントのりりこ。
彼女の完璧な美は全身整形の賜物であり、
元のまま残っているのは「目ん玉と爪と耳とアソコ」ぐらいのもの。
常にメンテが必要かつ怠れば崩壊していく肉体を抱え、
副作用やプレッシャーのせいで精神もボロボロ。
そんな時、ナチュラル美人の後輩こずえの登場で人気凋落発狂寸前。
さらにしっちゃかめっちゃかになっていく、という話。


傍若無人な主人公りりこをあの沢尻エリカが裸あり絡みありで演じる、という
ちょい話題作り的かつ意地悪なキャスティング。
体型はともかくとして(大分作ってはきていたけれど)人形のような容貌は流石。
吉川こずえ役の水原希子はいかにもモデル然とした雰囲気と存在感があって良い。
寺島しのぶ演ずる羽田ちゃんは老け過ぎてミスキャストかと思ったが、むしろキモくてナイス。

大物が多い上、なかなかハマってて全体的なキャスティングは良かったけれど、
ポエム検事麻田役の大森だけはどうしたって良い所が見つからなかった。残念。
狂言回しという大役が、ただの気持ち悪い厨二ポエマーになっている。


かなり悪い方向に覚悟して見に行ったのだが、沢尻がとても良かった。
マスカラどろどろで顔もくしゃくしゃにして泣き喚いてなお、綺麗。
やたら芝居がかった感じやセリフ回しの不自然さが目に付いたが、
激情にかられ怒鳴り倒すシーンはすごく自然だった。
わざとらしい演技はりりこがりりこらしさを演じてる、という表現なのだろうと解釈したが、
かなりギャップがあるので、沢尻って素のシーンは当然出来るけど演技はヘタ、と言われそうな気がする。
目の演技は少し大げさすぎるが、分かりやすく派手でよい。
ただ残念なことに、沢尻からは原作りりこのふてぶてしさや逞しさが伝わらなかった。
沢尻は可憐過ぎる。
怯えた子猫が精一杯の威嚇をしているようで、哀れにこそ思えど強さなど感じられない。
りりこは焦燥に飲まれながらも達観していて、
バカヤローと吐き捨てられる強さありきだと思うのだが。
ともあれここまで堕ちた姿を晒してもなお美しく演じられる女優はそういないだろうから、沢尻の起用は正解だったと言えよう。

寺島の羽田ちゃんは、あのつい漏れる笑いが良かった。
老けすぎだしミスキャストだろうと思ったが、対比の意味でも寺島にして良かった。
いちいちニヤニヤしてくれるので、りりこの傍若無人な振る舞いが一方的な発散でなくてむしろギブ&テイク的なお約束になり、屈折した愛情が投函への布石になっていると分かりやすくなっていた。


原作は良い、キャストも概ね良い、ここまではかなり褒めている。
しかしながら、蜷川実花、残念ながら監督業は向いていないと改めて思った。
脚本も良くないのかもしれないが、やはり何かが違うのだ。
原作ありきで考えると、何故ここをカットした?と小一時間問い詰めたいシーンが山ほどある。
原作抜きにしても、女子高生のシーンは長くて煩いし、
ワンショットワンショットは印象深いのに連続としてのシーンになるとだれる。
アップが多すぎて単調、濡れ場が微妙。
監督の自分押しが強すぎる。
趣味丸出しなのは別に良いけれど、押し付けがましいのとアピールがひどい。
一言で言おう。

キューブリック意識しすぎ。

見てるこっちが恥ずかしくなるってもんですよ。ほんとに。
特に第9はだめだろ第9は。ドナウもどうかと思ったが。
ラスト手前の記者会見、フラッシュが一斉に止まるシーンはもはやギャグかと。
"I was cured alright."とでも呟かせたかったのかな?
ちなみにラストシーン以外の沢尻のアイメイクは、
すっぴん風~フルメイク含めまつ毛がかなり強調されていたが、
不思議と下まつ毛はあっさりしたメイクだった。
それがラストシーンでは上下つけまつ毛バッチリの片目メイク。
これをアレックス意識ですか?wwwと思ってしまうのはきっと第9のせいだと思う。

時計じかけのオレンジ [DVD] / マルコム・マクドウェル, パトリック・マギー (出演); スタンリー・キューブリック (監督)

幻覚だとか小人の働くいかがわしいクラブにはいかにもデヴィッド・リンチ風。
リンチに関してはそもそもの原作表紙の元ネタだし、原作の岡崎京子が恐らくリンチ好きなんだろう。
原作はツイン・ピークスの匂いがし、映画ではそこにマルホランド・ドライブが足されている。

ともかくオマージュだかリスペクトだかインスパイアだか知らんが、
模倣の域にも達していないのが悲しい。
散々言われるであろうブラックスワンとの相似についてはもう語るまでもない。
どうせ色んなとこからサンプリングするんなら、
目玉のシーンは剃刀持たせてアンダルシアやれば良かったのに。

アンダルシアの犬/ブニュエルの秘かな愉しみ [DVD] / シモーヌ・マルイユ, ピエール・バチェフ (出演); ルイス・ブニュエル (監督)


散々勝手なことを書き散らしたが、蜷川実花も悪いところだけではない。
つぎはぎのようだが一画面を切り取ると鮮やかで印象深いし、
戸川純の「蛹化の女」は素晴らしい。
次々に消費され忘れ去られる馬鹿馬鹿しい空虚さを浜崎あゆみで示すセンスはすごく意地悪ですごく良い。
物語が進むにつれちぐはぐな感じになっていったのは、
狂気や混沌を自分でうまく作れなかったから切り貼りしてしまったせいなのだろうか。
せっかく可愛い女の子を可愛く撮るのに長けてるのにもったいない。
かつての美少女に「神様はどうして最初に若さと美しさを与え、奪っていくのか」と言わせる残酷さをもっと前面に出せば、さらに意地悪で嫉妬に塗れた面白いものが撮れるだろうに、という底意地の悪い感想で〆。
posted by サトウ at 21:39| Comment(0) | 映画 | 更新情報をチェックする

2012年05月27日

フォルカー・シュレンドルフ「ブリキの太鼓」/Volker Schlöndorff"Die Blechtrommel"

フォルカー・シュレンドルフ「ブリキの太鼓」、1979年公開のドイツ映画。

第1次世界大戦から第2次世界大戦頃のポーランドを舞台に、
自ら3歳で成長を止めた少年オスカルを中心に描いた作品。
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この物語はまずオスカルの祖母が、4枚重ねのスカートを履いて芋を焼いているシーンから始まる。
逃げてきた放火魔を成行きで匿うのだが、その描写が既にやばい。
スカートの中に隠れる放火魔→放火魔出てきた・・・・・・
ってオイオイなんでズボンのチャック開いてんの!
次のシーンでは既に娘が生まれ、
次のシーンでは祖父である放火魔は逃走+行方不明。
発端部分だからさらっと説明したいのは分かるが、展開速すぎて焦るわ!
そしてその娘が主人公であるオスカルの母親である。
カシュバイ人の彼女にはドイツ人の夫がいて、
愛人であるポーランド人の従兄弟がいる。
そして子供、オスカルを孕んだ。誰の子だよ。

オスカルは生まれたくなかった。
腹ん中戻りてーなと考えていた。
しかし3歳の誕生日にブリキの太鼓を買ってくれると聞いて、生きることに決めた。

さて3歳になったオスカル、プレゼントのブリキの太鼓を首から下げ大はしゃぎ。
母親、父親、母親の従兄弟や親の友人夫婦など、大人は大宴会の真っ最中。
酒を飲み、博打に興じている。
楽しげにカードを切る一方、
テーブルの下で母親のスカートを捲り上げる愛人の足。
欺瞞だらけで醜い大人達を見て成長したくないと思ったオスカルは、この日以来成長することを止めた。

そんなこと出来るん?何で?と突っ込むのは野暮。
設定だから。止められるから。
ついでに超能力も入手。ギャーッと奇声を上げれば硝子が割れる。
かくしてオスカルは3歳の外見のまま、常にブリキの太鼓を下げデデデデンデンデン。
気に入らないことがあればすぐデデデデン!ギェーッ!バリーン!
そんなムカつく不気味な少年になったのだった。

時は経ち、オスカルは立派にいじめられっ子に育つ。
それから逃れるためにちょくちょく母親と街へ出かけるようになるのだが、母親の目的はもちろん愛人との逢瀬。
爛れた性表現は彼のデデデンギェーッバリーンも相まってひどく不快だ。
そしてナチスの台頭。
彼の周りには、性と戦争の匂いが立ち込めている。
不穏な雰囲気の中、彼は同じく成長を止めた、老いた少年ベブラとサーカスで出会う。
共に居ようと誘われるが、傍観者でありたいからと断るオスカル。
あくまでも彼は、外側から眺める立場でいようとする。

やがて母親は自殺、その愛人はナチスに銃殺され、初恋の娘は父親に寝取られ、初恋の娘からは罵られる。
初恋の娘は父親と再婚し、弟を生む。
その後再会したベブラ率いる、ナチスの慰問サーカス団に入団。
中々良い目を見るが、戦禍により小人仲間の恋人は爆死。
弟の3歳の誕生日に帰宅し、ブリキの太鼓をプレゼント。
そしてナチスの敗戦と共にナチスの党員だった父親は射殺される。
父親の葬式に出席したオスカルは、成長することに決め、ブリキの太鼓を墓に放り込む。
そして汽車に乗り育った地を後にするのだった。

と書くと、キタナイ大人を見つめる子供、悲しい少年。
その目は翻弄されつつもしっかりと見据え、辛い現実を乗り越える強さを知るのだった……。
みたいな雰囲気に見えるが、とんでもない!
このオスカル少年はクソガキである。いやむしろ悪魔レベル。
そもそもオスカルに関わった人のほとんどが、
もうひどい勢いで不幸な死に際を迎えている。

あと、オスカルは外見の成長が止まっただけ。
無垢の象徴とかありえない。
だって普通に性欲もりもり。
見た目は子供!頭脳は大人!コナンもびっくりだよ。
外見を利用して女の子に近づいて、裸ガン見は序の口。
一つ布団で寝よう!て誘って強姦するとはなんともはや。
ちなみに襲ったのは初恋の女の子だが、父親に寝取られる。ざまあ。
でも気にせずエロいことしようとして、キモい!と蹴り飛ばされる。ざまあ。

オスカルを主人公として見ると、意味不明でわけが分からんことになる。
多分オスカルは狂言回しとして見るべきなんだな。
それから、醜悪で救いようのない大人達の汚い世界、というのもちょっと違うような気がする。

「ブリキの太鼓」に描かれているのは二面性であり、
それを善だとも悪だとも断ずることはできない。
ただ優しい善人はおらず、ただ無恥な悪人もいない。
戦争は悪だが、その渦中にいる軍人が必ずしも悪人だろうか。
負けた側勝った側で善悪は決まらない。
ただ、皆生きたいが為に流され翻弄されている。
少しのきっかけで180度変わってしまうくらい、移ろいやすく弱々しい。
夫の他に好きな人がいれば、愛する。
戦争が起これば、加担する。
けれど、「美しく青きドナウ」が流れれば、
ナチスの偉いさんを迎える整列中でも手に手を取って踊り始めてしまう!
これは屈指の名シーンだ。

勇ましくマーチを吹き鳴らす楽隊。
そこに不協和なオスカルの太鼓が交わる。
混乱、そしてマーチはワルツへと徐々に変化していく。
ナチス式敬礼で伸ばされた手は、人の肩をそっと抱き寄せ、楽しげに踊り始める。
何とも滑稽でありえない展開だが、素晴らしく美しい。

「ブリキの太鼓」は確かにグロテスクで奇怪な映画だが、憎しみと怒りを以って描かれているとは思わない。
むしろ徹底して観察者の立場から描かれている。
なので、理を外れたもの、オスカルの存在が必要だったのだろう。
そしてラスト、オスカル少年は成長することに決める。
つまり客観することをやめ、主観の立場に移行することを決断する。
頭に傷を負い、墓穴に落ちることによって「死」を疑似体験し生まれ戻ったオスカル。
シニカルぶって傍観することは、本当に生きていないことと同じなのかもしれない。
ただこれだけは分かる。
今まで気に入らんことがあったらギェーッで切り抜けてきたオスカルよ、苦労するぜ!
posted by サトウ at 15:17| Comment(0) | 映画 | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

塚本晋也「KOTOKO」

塚本晋也「KOTOKO」、2012年公開の日本映画。(2011年作品)

自分を切るのは、死にたいからじゃない。
消えてしまいそうなとき、確認したい。
存在して、いいかと。
http://www.kotoko-movie.com/index2.html
公式サイト

琴子は生まれてまだ間もないような息子、大二郎を一人で育てている。
結婚はしていない。
彼女には世界がふたつに見える。歌っている時だけはひとつに見える。
そのため日常は恐怖と危険ばかりで、他人と関わることをひどく恐れている。
息子を守りたい一心なのにうまくいかず、妄想と現実がごちゃごちゃになりはじめ、
幼児虐待の疑いをかけられ別々に生活しなければならなくなる。
そんな時に彼女に声をかけてきた小説家田中。
彼は彼女の歌に惹かれたと言い、彼女の全てを受け止めようとするが……。

以下ネタバレ有。

Coccoが主演ということで、叫びあり、歌あり、踊りありの相当なメンヘラ映画だろうとは予測していたが、予想をはるかに超えた出来だった。
最早これはホラー映画だ、しかも相当な傑作ホラーの域に達している。

開始10分も行かぬうちにゾクッとし、導入部で既に道行く人にすら恐怖を感じるようになる。
琴子の恐怖を有り余るほどに追体験させてくれるのだ。

ふたつに見える、というのは比喩でなく、琴子には本当にふたつ見えている。
人が二人、その片方はとんでもない形相で襲い掛かってくる、殴りつけてくる、妄想。
暴力描写が突然出てくるし容赦ない上にリアリティが半端ないのでビビる。
また、琴子の精神状態の危うさが思いっきり伝わってきて、いつ爆発するかとハラハラ。
流血シーンは数え切れないほど、もちろんゴア表現あり。
血塗れの痩せこけた腕がスゥーっと現れたり、顔面ぱっくり割れて何か出てたり。
リスカの際、アルミホイルか何かで剃刀研ぐのが生々しくておいやめろ。
そして落下する大二郎、車に撥ね飛ばされ、頭を銃で吹っ飛ばされ、絞め殺されたりする大二郎。
大二郎受難すぎ笑えない。

”誰か知らない人に知らないところで殺されるくらいなら、私がこの手で殺してあげたい、尊厳をもって”
と琴子は息子を泣きながら手に掛けてしまう。
誰かに奪われるくらいなら、私が奪いたい。
ものすごく自己中心的で相手の気持ち全く考慮してなくて、この上なく最悪で利己的な思考回路。
これは愛情なのかどうなのか分からない。
独占欲なのか支配欲なのか、自分と対象の間の距離感がおかしいことになっている。
しかしこの気持ち、分かってしまう。
私もひどく壊される前に優しく壊してあげようと思うだろう、ここまで追い詰められていれば。
もし実際自分に子供がいればまた違う感情を抱くのかもしれないが。
ただ、絞めた後琴子が狂気入りする際、おもちゃがパカーンと開くシーンがあるのだが、
「だいじろう GOAL」と書いたおもちゃが出てくるのはウケ狙いすぎだろ!
ブラックすぎて笑うわ。


そして田中。
放っておけない、と琴子に声を掛けてきた田中。
歌声に惹かれたといい、求婚し、手をフォークでぶっ刺され、殴られ、血塗れになり、片目は見えず、中身がはみ出しそうな状況でも、「大丈夫、大丈夫」と琴子を抱きしめる田中。
全てを受け入れようとし、ひたすらに愛情を注ぐ田中。
そして琴子の精神状態が良くなり、すべてが上手くいくかと思った瞬間に、居なくなった田中。

田中とは一体なんだったのか!

まず田中は存在したのかしなかったのか、そこからが既に曖昧である。
もしかしたらただ見かけただけの人かもしれないし、
本当に生活を共にしたのかもしれない。
どこからどこまでが現実で、妄想なのかがわからない。
その解釈は、こちらに委ねられているように思える。

個人的には、田中は存在し小説家というのも本当で、
しかし治った琴子には既に用がなく、立ち去ったのではないかと思う。
        
田中は本当に献身的だった。愛情を注いだ。共依存なんか?と思うくらいに。
大丈夫だ!大丈夫だ!といつだって、何をされても琴子の味方だった。
そしてだんだん琴子の暴力は収まっていく。
満たされない何かを暴力でしか埋められなかった琴子は、愛を信じられるようになったのだろうか。
自分を傷つけ、他人を傷つけなくとも、存在を確認できるようになったのだろうか。
ここに居ても良い、と受け止めてくれ安心できる居場所を見つけたのだろうか。
そうして田中の顔の傷も治りかけ、いつも仏頂面だった琴子は田中に話しかける。
笑いながら。
そこで田中は、小説を書くのをやめようかと思っている、と琴子に相談する。
何で?それでどうするの?と少し怒ったように聞く琴子。
「あなたを好きでい続けるってのが仕事だったらいいのに」と田中。
何だそれ、と笑う琴子。で、やめるの?やめないの?と聞く。
「・・・・・・やめません」と言った田中。

ここからは自分の勝手な妄想で、全く見当違いのことかもしれないが、
田中にとって琴子は「ばるぼら」だったのではないか。
「ばるぼら」は手塚治虫の漫画に出てくる女で、狂気じみた女、そして芸術家にとってのミューズである。

琴子を一人の女性として幸せにしようと思った田中。
琴子の狂気に惹かれた田中。
ひとりの田中の中にはふたりの田中がいて、葛藤していたのではないか。
しかしその瞬間琴子にはもう一人の田中は見えなかった。
そして、田中は小説家であることを選んだ。
芸術のためにだけ心を捧げることを決め、
ミューズがミューズ足りえなくなったとき、姿を消したのだ。
琴子の歌を聴き、涙を浮かべた田中。
その時琴子は赦されたと思い、田中は琴子から興味を失った。

結果琴子は再度心のバランスを崩し、最早どこにも拠り所などなく、
唯一の存在意義であった息子を守ることすら出来ないように感じてしまう。
世界は恐ろしいもので満ち満ちている。
これ以上守れないなら、世界を終わらせてあげようと。


そしてラストシーンではなんと!死んでなかった大二郎が成長した姿で出てくる。
(下唇とか鼻の形がCoccoそっくり、実際の息子かもしれない。)
病院に収容されている琴子の元へ、面会にくるのだ!
そして、まだ幼児だった頃のことを鮮明に覚えており、
何の反応も示さない琴子に懸命に話しかけてくる。

そんなあほなと思うほどに、都合よく作り上げた妄想に見えるほどに、
大二郎は健気な姿を見せる。

これを真正面から受け止めると、ハッピーエンドのようだし、
子供は意外と逞しく強かに生きているんだよ、大丈夫だよ、と救済を感じる。

時間も分からなくなり何の反応も示さなかった琴子が、
大二郎を見て回復の兆しを見せている部分に希望を見出すことは出来るが、
その後にまた絶望が待っているのではないかと勘繰ってしまう。
エンディングでは美しい夕暮れの風景が映し出され、優しい感動を覚えるのだが、
BGMに混じって、ボン ボン と不穏なSEが流れるのである。
これ、オープニングでかかっていたSEと多分一緒。
また、突如狂ったような叫び声をあげるのではないかと、
穏やかな気持ちはぶち壊されてしまったのだった。

賛否両論ありそうな映画だが、個人的には鉄男以来の傑作かなと思う。
(THE BULLET MANは未見)
メンヘラサブカル御用達と揶揄されそうなコンビだが、
Coccoは存外演技(素なのか?)が巧いし、単なるアーティストコラボとは一線を画している。
ダンサーインザダークっぽさもあるが、あっちより歌や踊りが自然に溶け込んでいたような気もするし。
(もちろんエキセントリックな、という設定がはっきりしているからだが。)

何度も何度も見返したい映画ではないが面白かった。
田中存在説を推したが、田中妄想説も捨てがたいしな。

無償の愛を求めるが故に無償の愛を注ごうとした琴子。
息子を奪われその行き場を失ったため、田中という存在を作り上げたのかもしれない。
琴子の狂気は非現実的だが、
受け入れてほしい、認めてほしいという気持ちは誰しも持っているもので、
一概に対岸の火事でもいられないことを恐ろしく思った。
posted by サトウ at 22:39| Comment(0) | 映画 | 更新情報をチェックする

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